【コンサルティングのフロー】
(1)事業デューデリジェンス
(2)事業計画書作成
(3)計画実行支援(経営・業務改善)
【コンサルティングの概要】
コロナ禍などで困難な状況にある経営者にとって必要なことは経営改善です。しかしながら、頭で分かっていても、具体的に何をどうしたら良いか分からずに悩む経営者が多いのも事実です。当事務所では世の中小企業経営者の皆様方のそんな悩みを解決し、会社を再び成長軌道に乗せるため、経営計画を作成し、更にその実行支援サービスを提供します。
具体的には、まず 経営・組織、営業、製造など、会社の詳細な内部環境分析を行い、業務プロセス毎に問題点とその原因を究明すると同時に会社の持つ強みをそれぞれ丁寧に抽出します。
その上で抽出した問題点毎に具体的解決策を策定し、同時に強みを活かした新たな打ち手を提案し、経営改善、売上アップを実現します。
以上のプロセスを効率よく、短期間で実行するため、中小零細企業が必要とする低コスト、高品質のパフォーマンスを実現します。また施策策定にあたっては、数値計画のシミュレーションと連動して行うため、施策を実行可能で、現実的、合理的なものにすることができます。
更に会社の経営情報を見える化し、それら情報を活用して会社を運営、管理して行くための経営のしくみを構築することで、コンサルタントの手を離れても企業が自立して運営できる体制つくりを支援します。また多くの中小企業が課題として抱える売上確保、売上アップの手法をルーチン化することで企業成長、発展の土台を構築します。
コンサルティング支援事例
ここで当事務所の実際の支援事例を物語風にご紹介します。なお、情報セキュリティ上、事業者名等は仮名を使用しています。
墜落寸前の赤字企業を、上昇気流に乗せたコンサルタント支援
「このままでは、鳴海印刷はつぶれてしまいます」
小野澤経営事務所の代表、経営コンサルタントの小野澤隆は静かに告げた。まさかの墜落予告に、株式会社鳴海印刷の多田社長は冗談だろうと笑う。しかし、リモート会議のモニター越しでもわかる小野澤の真剣な顔を見る限り、冗談ではなさそうだ。小野澤はしばしの沈黙のあと、穏やかに鳴海印刷の状況を説明し始めた。多田は固唾をのんで話を聞いた。
鳴海印刷は瀬戸内海に浮かぶ人口2万人ほどの離島、大佐島にある印刷会社。従業員15名の小さい会社だが、明治から続く島有数の老舗企業だである。大佐島は、北は中国山地、南は四国山地に囲まれ、年間を通して雨が少なく温暖な気候である。そのため、この地域でしか取れない特産品も多い。その一つに素麺がある。鳴海印刷の主要事業として、素麺を収納する化粧箱を生産している。
小野澤の拠点は千葉県だが、香川県に住む知り合いから紹介を受け、リモートで鳴海印刷の支援に入った。前任には支援機関から派遣された現地の経営コンサルタントがいたが、あまりの悲惨な状況に匙を投げたらしい。鳴海印刷の決算書を見た小野澤は、匙を投げる気持ちを理解した。銀行からの借入金が1億5千万円を超えている。一方、売上高は1億円程度、かつ、収益は3期連続の赤字。つまり、返済能力をはるかに超える借金を抱えていた。このままでは、倒産も時間の問題であった。
赤字経営が始まったのは3年前。この直前に、ワンマン経営で鳴海印刷のすべてを取り仕切っていた先代社長が急逝した。後継者や他の役員はいなく、次期社長が不在であった。当然のように混乱する社内。従業員の話し合いの末に、社歴が長い従業員を社長にすることになったが、最も社歴の長い工場長の近藤は経営に携わることを拒否。なし崩し的に、その次に長い女性総務部長の多田に白羽の矢が立った。残念なことに総務部長とは名ばかりで、先代社長に従い事務処理をするだけの、経営の素人であった。
大佐島は、人口2万人程度で商圏は狭いが、一方で海に囲まれ競合他社が入り込みにくい立地でもある。そのため大きな脅威もなく、社長が多田に変わっても昔からのお客様を中心に事業を継続できた。仕事はあるし従業員は忙しい、数字は税理士が管理している、お金が足りなくなったら銀行が貸してくれる。何とかなるだろう。瀬戸内の温暖な気候も相まって、多田は穏やかに過ごしていた。
そんな環境での経営だったため、鳴海印刷の厳しい現状を説明されても、多田は今一つピンと来ていない。小野澤から見た多田は、飛行中の旅客機のコックピットに座って景観を楽しむ観光客のようだった。会社という飛行機がどこに向かっているのか、どこへ向かうべきなのか、見えているようで何も見えていない。だから、操縦桿を握っても何も操作ができない。まずはメーターを見せ、会社が乱気流の真っただ中にいることを理解させる必要があった。
●支援内容① お金の流れの把握
会社のメーターとなるのが、売上や営業利益などの経営数値である。これまで多田は、決算が出ないと数字がわからない、つまり、1年に1度しかメーターを見ていなかった。これでは会社の現状など把握できるはずがない。日々の経営状況を把握してもらうために、税理士に丸投げしていた会計処理を多田に行わせた。請求書や領収書、預金通帳に至るまで会社のお金に関するすべての数字を、多田自身に会計システムへ入力させた。
「こんな地味な作業で、何か変わるのですか?」
懐疑的な多田に、小野澤は答える。
「社長ご自身で数字を入力することで、お金の流れを把握できるようになります。そうすれば、お金の問題が見えてくるようになるのですよ」
効果はすぐに出た。まず多田は、使用していない電話回線費用や、稼働していない広告費など、無駄な支出に気づくようになった。そして何よりも驚いたのが、銀行への借入返済額の大きさだ。1回の返済額は数万円から数十万円程度だが、1か月の合計返済額は数百万円に上り、キャッシュアウトの多さに愕然とした。返済額が膨れ上がっているから、どんなに売上を上げても現預金が残らない。だから、またお金を借りてしまい、さらに返済が大きくなる。鳴海印刷が悪循環の渦の中にいることを、多田はようやく理解した。
「先代社長と同じことをしていたはずなのに、どうしてこんなことに…」
うなだれる多田。しかし、落ち込んでいる暇はない。
「経営環境は刻一刻と変わっています。自社の置かれている状況を適切に把握し、改善していかなければ、渦の中に取り残されてしまいます」
会社の墜落を防ぐべく、小野澤は早速次の課題に取り掛かった。
●支援内容② 在庫過多の解消
小野澤は、数字だけでは見えない問題点を把握するために、飛行機とフェリーを乗り継ぎ、半日かけて大佐島へと飛んだ。
「小野澤先生、長旅でお疲れのところ恐縮ですが、弊社の状況を見ていただき、助言をお願いします」
港での挨拶もそこそこに、経営支援の本題に話は移った。直に対面する多田の顔は、初めてリモートで見たときよりも経営者らしい真剣な顔つきに変わっていた。
梅雨でじめじめとした千葉と違い、大佐島は雨がほとんど降らないためカラッとしている。だが気候とは対照的に鳴海印刷の社内は薄暗く、まるで雲に囲まれているようだった。その理由は、天井まで渦高く積まれた素麺の化粧箱だ。社内のいたるところに化粧箱の在庫が積まれ、窓から入る柔らかい日差しを防いでいた。在庫金額は1千万円あまり。明らかな過剰在庫だった。
化粧箱は、厚紙に印刷を行い、それを従業員が一人ひとり、手で組み立てて作成する。毎年素麺のシーズンが近づくと、生産が追い付かなくならないよう、受注の見込みなどを考慮せず、従業員の手の空く限り夜通し化粧箱を作った。その結果、夏が終わると在庫の山が残った。明らかな在庫過多だ。工場長の近藤にこの現状をどう思うか聞いたが、「来年も使えるから問題ない」と気に留める様子もなかった。
一通り会社を見て回った小野澤は、多田と近藤を会議室に集めた。そして、在庫過多を解消するために、化粧箱の受注生産を提案した。つまり、取引先を整理し、大口の取引先は受注を受けて、生産数を明確にしてから生産を始める。これにより、在庫を最小限に抑え改善る事ができる。しかしこの提案には、近藤から大きな反発があった。
「あらかじめ作りこんどいた方が楽だろ? コンサルは現場のことをわからないくせに口ばかり出しやがって」
不信感を隠す様子もない。空気が張り詰める。それでも小野澤は、感情的になって専門家の権威でねじ伏せたり、その場しのぎの言葉でごまかしたりしなかった。そして、穏やかにヒアリングを続けた。
「在庫を多く抱えていたいのですね。そのような体制になったのは、何か理由があるのでしょうか?」
小野澤の物怖じしない態度に戸惑いながらも、近藤はこれまでの経緯を話し始めた。
かつてのバブル好景気の時代、大佐島の素麺は飛ぶように売れた。1年で30万箱も売れることも珍しくなかった。鳴海印刷は化粧箱の生産に追われた。作っては出荷、作っては出荷を繰り返す。それでも生産の催促は止まらない。従業員は皆、昼と夜の区別もつかなくなるくらい働いた。身体を壊した者がいた。家族との時間を犠牲にした者もいた。それでも作り続ける。そのような時代だった。近藤はこの時代を経験し、今の従業員に同じ辛い目に合わせたくないと強く思った。だから、いつ増産を求められても良いように、在庫を常に潤沢に持つ体制を維持することにした。
「大変な時代を経験されたのですね」
小野澤は近藤の想いを、黙って聞いて受け止めた。そのうえで、なぜ在庫過多が会社にとって良くないのかを、丁寧に話し始めた。また、現在の素麺の販売は年間2万箱まで減っており急激な増産は考えにくいなど、具体的な数字も見せながら説明した。近藤は経営のことが分からないため時間はかかった。それでも少しずつ理解してもらい、お互いに折衷案を出しながら、根気強く話し合った。その結果、最低でも見込める受注数は事前に生産して、受注が確定してから残りの分を作る、という受注生産と見込み生産の間をとる生産体制に落ち着いた。
「前のコンサルも同じような提案をしてきたけど『とにかくやれ』の一点張りだった。そんなやつの言うことは聞かなくていいと思った。だけど、あんたはちゃんと現場の話も聞いてくれたから、やれるところはやってみるよ」
近藤の態度も徐々に軟化して、了承に至った。「あらかじめ作りこんどいた方が楽だろ? 現場のことをわからないやつが何を言っているんだ」
張り詰めた空気が漂う。それでも小野澤は、専門家の権威でねじ伏せたり、その場しのぎの言葉でごまかしたりしなかった。なぜ在庫過多が会社にとって良くないのかを丁寧に説明した。近藤は経営のことが分からないため時間はかかった。それでも少しずつ理解してもらい、お互いに折衷案を出しながら、根気強く話し合った。その結果、最低でも見込める受注数は事前に生産して、受注が確定してから残りの分を作る、という受注生産と見込み生産の間をとる生産体制に落ち着いた。近藤の態度も徐々に軟化して、了承に至った。
●支援の効果
訪問後も多田とリモートで定期的に打ち合わせを行い、経営の状況を確認し、適宜アドバイスを行った。そして1年後、小野澤は再び鳴海印刷を訪れた。社内はとても明るくなっていた。生産体制を変えた結果、在庫数は大幅に減り、窓からの日差しも入るようになっていた。また室内だけでなく、あれだけ険悪だった近藤も、明るい表情で話しかけてきた。
「あれから、闇雲に化粧箱を作るのではなく、目標数を設定して作るようになったので、従業員同士でがんばろう、という前向きな雰囲気に変わったんだよ」
支援の効果は数字にも出た。直近期の収支はマイナス680万円の赤字だったが、小野澤が支援に入った年度の決算は820万円の黒字に転換。支出の無駄を明確にしたことでコストが削減できた。また、化粧箱在庫の適正化と値上げを並行して行い、利益が出る体制になった。
「小野澤先生のおかげで、わが社は墜落を回避することができました」
多田の顔つきは経営者らしく凛としてきたが、表情は以前のように穏やかになっていた。
支援がひと段落し、小野澤は一息つきながら、香川空港から飛行機で飛び立つ。街を見下ろすと、四国の各地にホテルが建ち並んでいる。かつては観光で栄えた大佐島も、四国本土に宿泊客を取られどんどん衰退している。島内の高齢化も進み経済も縮小、商店のシャッターも目立つようになった。まるで日本の縮図のようだ。一方で、大佐島には様々な観光資源がある。これらを活かして、島の外に市場を開拓できれば、流れを変えることもできると考えられる。
鳴海印刷も当面の経営危機は脱したが、債務過多など問題は山積である。多田社長には「まだ浮かれるべきではないよ」と釘を刺しておいた。5年後、10年後、15年後のさらなる飛躍のためには、大佐島を飛び出し、本土はもちろん海外など、これまでとは異なる市場に飛び立つことも検討すべきである。そこには、営業改革や社内体制の強化など、新たな課題となる乱気流が待ち受けている。それでも、やるべきことを着実にできるよう支援することで、鳴海印刷を上昇気流に乗せられるはずだ。
「当機は間もなく、羽田空港へ着陸いたします。安全のためベルト着用サインが消えるまでお座りのままお待ちください」
いつの間にか飛行機は千葉県関東までたどり着いていた。窓から景色を眺めているだけでは、自分がどこにいるか見失ってしまう。経営も同じだ。メーターを見て状況を客観的に把握する術がないと、思いもよらない方向に会社が傾いてしまう。だから、それを教えてくれる専門家の経営コンサルタントが必要なのだ。
人材がいない、資金も少ない、そんな中小企業の経営改善に、ウルトラCはない。ドラマとは違い、これさえやれば万事解決するなんて画期的な方法はない。だから、経営コンサルタントの支援内容は大概地味である。だが、経営状況をはっきりと見つめて、問題点を一つひとつ解決するという地味な改善を積み重ねれば、きっといい方向へ飛び立たせることができる。操縦桿を握る中小企業の社長を、これからも支えていこうと、小野澤は決意を新たにしながら帰路に就いた。